1984年4月28日~西武3連戦~…やはり山内孝は…

この日(04/28)から、ホークスは、前年(1983年)の覇者・西武を、ホームグランドである大阪球場に迎えての3連戦。この時点では、ホークスは、首位:近鉄に2.5ゲーム差をつけられているとはいえ、勝率5割で、3位を堅持。

一方、対戦相手の西武はというと、この年、開幕から、投手陣がピリッとしません。投手陣が踏ん張り、試合を作ったかと思うと、打線が沈黙という試合も、しばしばあり、このシーズンの西武は、中々、上昇気流に乗れませんでした。極め付けは、4月6日から4連勝・3連敗・3連勝と、盛り返してきた状態で、(雨天中止などで)5日間試合がない状態が続き、良い流れが途切れてしまったことでした。そのせいかどうかはわかりませんが、その次の対阪急3連戦(4/24~4/26)を●●○の1勝2敗で終えることに。

そして、その次の試合が、この日(04/28)のホークス戦でした。なので、西武のこのシーズンの状態からすると、十分勝機が見いだせると思われます。

この対西武3連戦の初戦であるこの日(04/28)の先発は、山内孝徳。これまで3勝負けなし。先日(4/24)畠山が好投し、初勝利を挙げたばかりでしたので、この日も、かなり刺激を受けた状態での登板になっていると思われます。なので、この試合前の山内孝のモチベーションはMAXに達しているのではないでしょうか。

相手先発は、前年(1983年)ローテーションの一角を守り、リーグ優勝に貢献した杉本。試合は、山内孝、杉本の投げ合いとなった。両チームとも、2回に1点ずつを取り、こう着状態へ。1-1の同点で迎えた7回裏、2番手・変則左腕の長射保から、ナイマンが4号スリーランを放ち、4-1とリード。ホークス先発の山内孝は、8安打(2四死球)を浴びながら、1失点完投、4勝目を挙げた。打では、決勝のホームランを含む2安打を放ったナイマンはもちろん、4打数4安打と大当りの河埜の活躍も目立った。
しかし、まだまだ、貯金1.勝って兜の緒を締めよ、だ。


対西武3連戦の2日目(4/29)、この日の先発は、エース・山内和。この年の山内和は、今一つピリッとしません。前年(1983年)、東尾(西武)と分け合う形で、最多勝利投手のタイトル(18勝)に輝いたのですが、パ・リーグで2年連続最多イニングを投げ、かつ他球団に比べ、走・攻・守・救援陣の援護が乏しいホークスで、エースを張るのは、精神的にも、肉体的にも消耗が激しかったのではないでしょうか。その影響が出始めたのかもしれません。

そんな、調子が今一つの山内和でしたが、この日は、西武打線を、6回0/3を2安打3四死球自責点1に抑え、まずまずの投球内容を見せました。しかし、試合は7回に山内和をリリーフした矢野が、いきなりジェリーに5号ホームランを浴びます。なんとか2アウトまでこぎつけたものの、金森に四球を与えたところで、左腕の竹口にスイッチ。代わった竹口もスティーブに2点タイムリーを浴び、逆縁を許します。その後、森口が後続を断ち、4-5と1点リードされた状態で、終盤へ。

森口は、ランナーを出しながらも、8回表を0点に抑え、味方の反撃を待ちます。
(おお、森口、これまで、点を取られるイメージしかなかったが、すばらしいぞ、森口)
西武は、8回裏になると、このシーズンから西武に移籍してきた新守護神・江夏が登板。しかし、その江夏の代わり端を、4番・門田が捉え、5号ホームランを放ち、5-5の同点に追いつきます。そして、続く5番・ナイマンの2塁打を足掛かりに、7番・新井が逆転のタイムリーを放ち、遂に6-5と逆転します。

こうなると、9回表は、守護神・金城の出番です。金城は、2番・金森から始まる西武打線を3人で斬って取り、7セーブ目。ホークスは西武の守護神・江夏を打ち崩して、2位へと浮上しました。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点 安 失    
西武  0 0 0 0 0 1 4 0 0    5    7   1    
南海  0 1 0 1 1 1 0 2 x    6   11   1

今度こそ、同一カード3連勝したいホークス。この日(04/30)の先発は、前回(04/24)の登板(日ハム戦)で好投した、2年目のホープ・畠山。一方西武の先発は、右のアンダースロー・松沼博久。松沼博久は、入団(1979年)して以来、ローテーションの一角を守り続けている、投の軸の一人です。
(この人が投げると、いつも打線が沈黙するんですよねぇー、対松沼博久線は、打ち勝った記憶があまり、在りません。この日は、あまりきたいできないかと、思いつつ…)

ホークスの先発・畠山は、1から3回まで毎回1点を失う苦しい展開。しかし、以降6回途中まで、西武打線を3失点(自責点2)に抑えることができたのは、及第点と言えます。ホークスはその後、兄やん(松沼博久の愛称)から山本和範の3号ツーランで、2点を返しますが、期待の新人加藤伸一(1983年ドラフト1位)と、森口が1点ずつを失い、2-5で敗戦。ホークスは、またしても、3連勝を逃します。ただ、この試合、2回2/3を1失点と、好投したことが、この試合での光明と言えるでしょうか。今後の、加藤の活躍に期待。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点 安 失
西武 1 1 1 0 0 0 0 1 1    5   13   0    
南海 0 1 0 0 0 0 2 0 0    2    4    1  


by 永遠のホークスボーイ



1984年4月24日~日ハム3連戦~…畠山台頭

阪急3連戦を2勝1敗で勝ち越したホークス。1日空いた後の4/24(火)、この日の先発は今季2度目の畠山準。畠山は、甲子園で優勝した徳島県池田高校のエースで、1982年のドラフト1位。前年(1983年)は、ルーキーながら、5試合に先発し、3敗ながら、完投(負け)1を記録。藤本同様期待の右腕である。

その畠山だが、この日は、日ハムを相手に、8回を4安打1失点に、抑え、プロ初勝利を飾る。しかし、試合展開は、決して楽ではなかった。0-0で迎えた4回表、主砲・門田が日ハムの先発田中富雄(1982年ドラフト1位)から、4号ソロを放ち、均衡を破る。その後、両先発は好投を続け、7回まで、スコアボードに0を重ねる。試合が動いたのは、8回表、新井の1号ツーランなど、3点を加点。9回には、2番手で登板した坂巻明に山本和範、河埜がソロホームランを浴びせ、ダメ押し。ゲームはホークスが6-1で勝利。

先週の藤本修に引き続き、畠山まで、先発で好投。楽しみな若手が出てきましたね。

3連勝で勢いに乗りたいホークス。この日の日ハム5回戦の先発は、エース山内和。相手先発は、速球には、定評があるが、コントロールに難があった田中幸雄(投手※)

 ※当時、日本ハムファイターズには、投手と内野手で同姓同名の田中幸雄が
  二人在籍していた。このため、新聞紙上では、一時的に、投手:田中幸雄は
 「田中幸」、野手:田中幸雄は「田中雄」と表記されていた時期があった。
 身長が高かった「田中幸」はオオユキ、身長があまり高くない「田中雄」は
 コユキとチームメートから呼ばれていたという話は、結構有名な話だ。
 「田中幸」はコントロールは悪かったが、ホークスは、いつ捻られても
 おかしくない、速球派の良い投手だと思っていたので、この翌年(1985年)
 にノーヒット・ノーランを記録した時も、驚かなかった。(やって、当然
 だろう!と思っていたので。)一方「田中雄」は、2000本安打を記録する
 スラッガーとして、活躍。

ホークスは、その田中幸雄(投手)に、6回途中まで2失点に抑えられ、間柴―川原のリレーに抑えられた。一方ホークスの先発・山内和は、3回裏に柏原純一(元南海戦士)に満塁弾を浴び、4点を献上。最後までこの満塁弾が尾を引き、7回に新井の2点タイムリー2塁打で、2点を返すも、2-5で、敗戦。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点 安 失
南海  0 0 0 0 0 0 2 0 0    2   5  1   
日ハム  0 0 4 0 0 0 1 0 x    5   7  0

前日(04/25)、柏原純一の満塁弾と田中幸雄(投手)の好投に破れたホークス。
この日(04/26)は、ベテラン藤田学。藤田は、1回裏いきなり、クルーズに6号ツーランを浴びるが、その後はハム打線を、5回まで無失点に抑える。そして、打線も、藤田の好投に応え、6回表に、日ハムの先発左腕・木田から、河埜、高柳が、連続ホームランを放ち、2-2の同点に。しかし、藤田は、7回途中で、降板。代わった竹口もにブラントのタイムリー2塁打を浴び、1点を失い、2-3と1点リードされる。しかし、ここで終わらないのが、この年のホークス。8回表、ナイマンと代打山本和の連続タイムリーで、この回、遂に、逆転。5-3と2点リードの状態で、終盤へ。1点リードで9回途中、矢野から抑えの金城へスイッチしたが、1点を奪われ、痛恨のドロー。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点 安 失
南海 0 0 0 0 0 2 0 3 0    5    7  0    
日ハム  2 0 0 0 0 0 1 0 2    5   10 0

金城にキッチリ抑えてもらい、矢野今季初勝利、金城も6S目と行きたかったところですが、この日のホークスの打線の粘りに乾杯。負けなかっただけで、良しとしましょう。

日ハム3連戦を1勝1敗1分けで終えたホークスですが、畠山もプロ初勝利が付いたし、打線も粘りが出てきたので、この後が、大いに期待できそうですね。この週の後半に登板しそうな山内孝の畠山に刺激されたピッチングが見たいですね。


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1984年4月20日~対阪急3連戦~ 門田・ナイマン復帰

4月後半戦初っ端のロッテ戦を1分1敗で終えることができたことは、門田・ナイマンを欠く南海にとっては、御の字と言えよう。
見方によっては、2試合とも勝つチャンスがあったとは言えなくもないが、両試合ともそれなりに、観客に見せられるレベルの接戦で、内1試合は敗色濃厚の試合を引き分けに持ち込むことができたので、この時点では、及第点だと言える。

4/20(金) 、この日は、対阪急4回戦。ホークスの先発は、頼みのエース山内和宏。一方、阪急の先発は、永本。ホークスの先発・山内和は、強打阪急打線を3回まで無得点に抑えるも、4回に松永に2号ツーランを浴び、先制を許す。しかし、ここで終わらないのが、この年のホークス。正確には、この時期の好調ホークス。6回表には、相手先発・永本を攻め立て、代打・門田のタイムリーの後、代打山本の1号スリーランで一気に逆転し、4-2と阪急を2点リード。しかし、7回裏に、山内和が失策絡みではあるが、3番・蓑田に2点タイムリーを浴び、同点とされ、ここで降板。その後、リリーフで登板した森口が後続を抑えたものの、9回裏に、伏兵・弓岡敬二郎に逆転の1号ツーランを浴び、サヨナラ負けを喫す。

試合のスコアは、以下の通り。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点 安 失
南海 0 0 0 0 0 4 0 0 0    4   8  1
  阪急 0 0 0 2 0 0 2 0 2x  6   6  0 

弓岡は、いいバッターなんですよね。犠打もキッチリ決めることができる選手なんですけど、勝負強いんですよね。ホークスは、この弓岡には、痛い目にあわされていた記憶があります。この年、弓岡は、3割をマークするのですが、走・攻・守に隙がなく、他球団から見ると、最も嫌な選手の一人だったように思います。本当、阪急が強かったのは、弓岡のせいや~、と思う位。

と嘆きはおいといて、この試合、門田は、代打での出場となりましたが、3試合ぶりに復帰しました。復帰でいきなり、タイムリーを打つところは流石といったところでしょうか。そういう意味では、勝って勢いをつけたい試合でした。しかし、この頃は、まだ信頼が高い中継ぎが居ませんでしたので、先発をできるだけ引っ張り、抑えの金城を登板させるパターンに持っていくしかなかったでしょう。

前日(04/20)にサヨナラ負けを喫したホークス。この日(04/21)は、対阪急5回戦。ホークスの先発は、プロ初登板初先発の藤本修二。藤本は、1982年ドラフト5位の2年目の右腕。藤本は、この日、強打・阪急を相手に、8安打・5四死球を与えながらも、要所を締めて、8回を1失点に抑える好投を見せました。打では、定岡の2本のホームラン(6,7号)と河埜の1号ツーランで、効果的に加点し、9回は抑えの金城が、ピシャリと3人で試合を締めくくりました。これで、金城は5セーブ目。門田・ナイマンもこの日から先発出場し、若手の新鋭右腕・藤本が最高の形で、プロ初登板初先発で、初勝利を手にしました。ロッテ・阪急に1試合ずつ負けたところで、嫌な雰囲気になりかかっていたホークスでしたが、最高の形で、再スタートを切れたのではないでしょうか。
(スコアは、4-1で、南海の勝利)

藤本修の好投で、連敗を2で止めたホークス。この日(04/22)は、Wエースの1人である山内孝が先発。前回のロッテ戦では6回6失点と散々な出来となった山内孝。この日の孝は、違っていましたねぇ。「流石、エース」と、ヨイショしたくなるくらいの投げっぷりでした。
この人は、気持ちで投げる人なので、前日の藤本修(期待の新鋭)の好投に、大変刺激を受けたのではないでしょうか。こんな時の、山内孝は、本当に頼りになります。
阪急打線を蓑田の一発のみに抑える、1失点完投。何も言うことはないでしょう。
(スコアは、4-1で、南海の勝利)

阪急との3連戦を2勝1敗で勝ち越したホークス。この時点チームは8勝8敗3分の3位。ロッテ・阪急に連敗した時は、5位に下がりましたが、その後阪急に2連勝したことにより、3位に再浮上しました。これからのホークスの奮闘ぶりに期待しましょう。


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1984年4月後半戦開始…~門田・ナイマン~を欠いて

3位で、4月後半戦に臨むことになったホークスでしたが、主軸の門田が、4/14の日ハム2回戦での怪我が原因で、試合を欠場する事態が発生していました。それは、0-4と一方的にリードされた時点での追撃の3号ホームランを放った後でした。ダイヤモンドを回った後に、交わしたハイタッチより脱臼してしまったとのことでした。
一方では、打線を引っ張っていたもう1人の主軸のナイマンが4/13(金)からの日ハム3連戦を欠場していました。
さて、門田、ナイマンと主軸2人を欠いた状態で、ホークスは、ロッテ・阪急との連戦をいかに戦うのか!この後の展開にご期待。

4/17(火) 、この日対ロッテ4回戦。この日の先発は、Wエースの山内孝徳。前回登板では、この日と同じロッテと相対し、10安打浴びながらも、8回無四球2失点と好投し、2勝目をマークしている。3勝目をかけた休養十分の中5日の登板であったが、3回に3点、5回に2点を失い、6回途中6失点でマウンドを降りている。しかし、打線は、好調だ。主軸の門田・ナイマンを欠きながら、初回にドイルの3号2ランで、先制。その後、2-6と4点ビハインドの7回には、山本和範、河埜による2点タイムリーが飛び出し、同点。7回には、遂に1点勝ち越し。だが、抑えの金城が、この日4安打の庄司に一発を浴び、ゲームは引き分けに終わる。ホークス的には山内孝が乱調にも関わらず、主砲2人を欠く状態で、敗色濃厚であった試合を、引き分けることができたことは、大きな収穫だと言えよう。

前日(4/17)の試合を引き分けたホークスでしたが、この日(4/18)の先発は、’81ドラフト3位で、躍進が期待される右腕・矢野。前年も5試合先発を任され、この日は、初先発。
ちなみに、前年(1983年)の先発での成績は、以下の通り。

相手 回      打 安 振 球 責 星 スコア
近鉄 7    31 7 4 2 1 ● 3-5
日ハム 6 2/3 32 6 4 6 5 ○ 8-7
西武 2 1/3 16 6 1 2 2 ● 5-9
阪急 5 1/3 20 5 3 0 3 ● 3-7
日ハム 9    33 6 2 1 1 ● 0-1

5試合に登板した中で、好投は2試合、台所が苦しいホークスの先発陣であれば、先発のチャンスを与えられる成績ではあるように思えます。
好投して、先発の一角を担ってくれれば、と思うのですが、この日は、3回途中でKO。
「次の試合に期待!」というところでしょうか。ホークスは、この3回に4点奪われ、打線も1点を返すのが精いっぱいで、1-4で敗戦。相手先発は、右のアンダースローの仁科。前年は、ホークスが打ち込んでいる相手でしたが、完投を許してしまいました。左の大砲・門田の不在が響いた試合でした。


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上昇穴吹ホークス…1984年4月前半戦総括


ホークスは、4月前半を終えた4/16、勝率5割で、日ハムと同率ながらも、パ・リーグ堂々の3位。4月中旬とは言え、ホークスの顔ともいうべき「野村克也」が去って以来、4月中旬とは言え、ペナントレースで優勝の可能性があるシーズンが存在しただろうか?
「いや、していないだろ」と言いたいところですが、それはおいといて

この4月中旬での3位キープの立役者は、以下の通り。

山内和(エース:前年最多勝投手) 2勝1敗0S 2.90
山内孝(Wエース)        2勝1敗0S 2.82
金城(抑えの切り札)        0勝0敗4S 0.00

ナイマン(期待の新外国人大砲)  .375 3本
門田(主砲)           .436 3本
定岡(突然の打撃の開花か?)   .306 5本

やはり、野球は投手力が安定しているかどうかで、コンスタントに勝ちを拾えるかどうかが決まるスポーツではないでしょうか。

Wエースである両山内の2勝が光ります。そして、防御率0.00の抑えの金城の活躍も見逃せません。

そして、打線は何といっても、定岡でしょう。
定岡と言えば、やはり、南海の定岡智秋ではなく、巨人の定岡正二(智秋の弟)でしょう。
なんせ、1974年、ドラフト1位で巨人に入団し、前年(1983年)こそ7勝に終わったものの、1980年から、9、11、15の勝ち星を挙げている、常時全国放送されている巨人の主力投手なのですから。
当時、シーズンが始まると、巨人戦(ナイター)を放送していない都道府県はないという位、巨人戦は中継されていたので、巨人の選手というだけで知名度は抜群だったように思います。それに定岡正二は、ここ数年間、巨人の主力投手として活躍してましたしね。

あれっ、脱線してしまいましたね。一方兄の定岡智秋は、1971年、ドラフト3位で南海に入団すると、3年目から少しずつ試合出場が増え、1976年からは、ショートのレギュラーに定着しています。強肩がセールスポイントの定岡智秋ですが、こんなに、シーズン当初から打ちまくることは、かつてなかったのではないでしょうか。

今までは、どちらかという打撃ではあまり目立たなかった定岡智秋が、14試合で3割5本塁打の活躍は、素晴らしすぎるの一言に尽きます。門田、ナイマンも、期待通りの活躍を見せ、ドイル、高柳、河埜敬幸(巨人:河埜和正は兄)など、脇を固める打者が、好調であることも、勝ちを拾えている要因の1つと思われます。
このため、ホークスは、春先に調子が良いと、好調:南海と揶揄された記憶があります。


by 永遠のホークスボーイ



上昇穴吹ホークス…ロッテ・日ハム6連戦(1984年4月10日~15日)

恵みの雨にも助けられ、開幕9連戦を何とか3勝4敗1分でやり過ごしたホークス。
移動日を1日おいて、ロッテ・日ハムと戦うことになります。

まずは、初戦の対ロッテ1回戦ですが、ホークスは、いきなり、エース山内和が序盤で3点を失う苦しい立ち上がり。ホークは4回に1点を返すも、6回に1点を失い、1-4とリードを許します。しかし、ホークスは、6回からリリーフした森口がイニングを無失点に抑える好投を見せると、8、9回にドイル、河埜らの活躍により、2点ずつを奪い、最後は、抑えの金城がロッテの攻撃を3人でピシャリと抑えて、逆転勝利。重要な初戦をモノにしました。

続くロッテ2回戦は、Wエースの山内孝が先発。しかし、2回裏、ロッテの好調:袴田らに捕まり、2点を献上します。ロッテは、先発の期待のホープ石川がホークス打線の前に立ちはだかり、8回までに1点で抑える好投を見せます。(石川は、この年パ・リーグの最高勝率投手に輝く素晴らしい投手です。)しかし、9回表、石川は、エラーなどで3点を失い、逆転を許すと、9回裏は、抑えの切り札金城が1安打1四球ながらも、ロッテ打線を0点に抑え、ホークスは2連勝を収めます。

このまま波に乗って、3連勝と行きたいホークスでしたが、3戦目6-6の引き分けでした。1回表に1点を先制しながらも、先発した2年目の畠山・4年目の井上が相次いで打たれ、一時は、4-6と逆転されましたが、8回に池ノ上の1号ホームランが飛び出し、粘りのある打線により、引き分けに持ち込むことができました。
この試合展開であれば、引き分けで御の字ではないでしょうか。

ロッテ3連戦を2勝1分で終えたホークスでしたが、移動日なしで、日ハムとの3連戦になります。
この日は、ホークス期待の左腕というより、穴吹監督期待の左腕・1977年ドラフト4位(人吉高校)、前年まで通算4勝1Sの竹口昭範投手が先発。穴吹監督のこの竹口に対する起用法を見ると、非常に期待していることがわかります。
南海には、1軍クラスの左腕が当時皆無と言ってよい状態でした。そのような中で、両山内、藤田、井上に次ぐ、先発としての起用。この試合も含め、ここまで、開幕12試合中2試合に先発として、起用されていることを考えれば、ローテーション投手として期待していることの表れと、言えるのではないでしょうか。前回の登板は対阪急2回戦でしたが、4回までは得点を許さず、6回途中ながら3失点と、まずまずのピッチングを見せていました。
しかし、この日は、2回0/3を5安打1四死球で、降板し、期待通りのピッチングとはなりませんでした。ただ、この日は、後を継いだ矢野が7イニングを1失点に抑える好投を見せ、試合を作りました。結果は、2-4の惜敗ではありましたが…

続く、対日ハム第2戦は、ベテラン藤田学が先発。しかし、藤田は、古屋、柏原に一発を喫し、5回4失点で降板。0-4から門田、定岡、立石のホームランで同点に追いつくも、中継ぎの森口が8回に1点を失い、4-5の敗戦。

うーん、この流れ、どこかで見たことはありませんか?
そうです。ホークスは、開幕で、西武に2連勝しながら、3戦目以降、西武、近鉄に、阪急に引き分けを挟んで4連敗を喫していました。ロッテに2連勝したとはいえ、引き分けを挟み、日ハムに2連敗。嫌な流れですね。さて、ホークスは、この嫌な流れを断ち切れるのでしょうか。

対日ハム3戦目の先発は、エース山内和。しかし、この山内和が初回から、ピリッとしません。この日山内和は、4回までにホームラン2本を含む計3点を失う、苦しい立ち上がり。4回終了時点で1-3と、ホークスは劣勢に立たされます。しかし、山内和は、その後、8回まで無失点で日ハム打線抑え、打線も相手先発:木田に4点をもぎ取り、試合を逆転(5-3)します。9回は抑えの金城が登板し、連敗を2でストップさせます。

とりあえず、開幕シリーズの二の舞いにはならず、チームは堂々の3位浮上です。



by 永遠のホークスボーイ



開幕9連戦の後半~1984年~穴吹ホークス

恵みの雨(4/4)を経て4/5(木)の対近鉄2回戦に臨んだホークスでしたが
先発の山内和が加藤英司に3安打を2打点を含む活躍を許し、2-3と惜敗。
とは言え、山内和は、8回を3失点に抑える力投を見せたと言ってよいでしょう。
ただ、打撃陣は、谷宏明、住友、鈴木康二朗に、6安打浴びせ、5四死球と奪いながらも攻めあぐねてしまったようです。

これで、西武三回戦から3連敗。そろそろ、立ち直りたいホークスでしたが、次は阪急ブレーブスとの3連戦。福本、弓岡、蓑田、ブーマー、松永、と曲者、巧打者、好打者、強打者が揃った阪急打線を相手に、どこまでホークス投手陣が抗うことができるのでしょうか。

まずは1回戦。場所は、ホークスのホーム球場である大阪球場。相手先発投手は、プロ3年目の本格派右腕・山沖。
ホークスは、相手先発・山沖を攻め、2~4回にかけて4点を先取し、4回終了時点で4-0と、阪急をリード。しかし、ホークスの先発・山内孝は、5回に5点を失い、逆転され、6回途中で交代。その後も、森口、矢野、畠山が登板したが、ことごとく失点し、8-11で迎えた9回裏であったが、ホークスは、粘りを見せ、抑えの佐藤義則を攻め、蓑田のエラーなどもあったが、3点をもぎ取り、11-11のドローに持ち込みました。

試合のスコアは、以下の通り。

   1 2 3 4 5 6 7 8 9  点  安  失 
阪急 0 0 0 0 5 4 1 1 0  11 16  1
南海 0 1 3 1 0 0 3 0 3  11 11  1

この試合では、ホークスの打線の頑張りが目立ちました。 7回表阪急は1点を追加し、10-5と点差を広げたのだが、7回の裏にホークスは3点を返し、点差を2点とすると、8回表に1点は許したものの、9回にもエラー絡みとは言え、3点を奪い取りました。2連勝→3連敗と来ていたので、この引き分けは大きかったように思います。この引き分けは、勝ちに等しいものであったと言えるでしょう。

翌日(4/7)の対阪急2回戦では、期待の左腕・竹口が先発。
相手投手は開幕3戦目で完封勝利を挙げている、阪急投手陣の両輪の1人である今井雄太郎。このシーズンで35歳を迎える超ベテランピッチャーでした。この今井投手、以前は「飲みの心臓」ならぬ「ノミの心臓」と言われる位気が小さい人で、時の上田監督が登板前にビールを一杯飲ませてマウンドに挙げたら、完封しちゃったという逸話の持ち主。実際のところはどうだかわかりませんが、元々ピッチャーとして、良いものは持っていたとのことで、変化球などを習得し、球種を増やすことで、齢を取れば取るほど、勝てるようになったと、スポーツ紙の記事に書いてあったことを思い出しました。そんな記事が載っていたこの年の今井雄太郎が相手先発なので、大量得点は望めません。勝つためには、ホークスも失点を極力抑える試合運びを強いられるでしょう。

今季初先発の竹口でしたが、5回途中まで3失点。結果としては、強力阪急打線を相手に健闘したと言えるのではないでしょうか。また、2番手で登板した矢野も4回を無失点。結果は、0-3の惜敗でしたが、相手がこの年最多勝投手に輝く今雄太郎では致し方ないでしょう。

ただ、今井には7安打を浴びせ、5四死球も選んでいることから、チャンスはあったのだと思います。ただ、要所を締められたんでしょうね、ベテラン今井に。

そして、阪急3連戦の最後は、ホープ・井上が先発。しかし、井上は4回表に2点を奪われる苦しい展開。しかし、打線が好調のホークスは5回裏に2点を返し、同点に追いつきます。その後、井上は6回表にも1点を失いますが、6回の裏にホークス打線が山本和範の2点タイムリーを含む3点を挙げ、逆転し、ついに連敗を脱出します。

期待の右腕・井上に勝ちが付き、チームの連敗も4で止まり、3勝4敗で開幕3カードを終えたホークスは、どのようなプロセスで、戦っていくのでしょうか。乞うご期待。


by 永遠のホークスボーイ



開幕9連戦の前半~1984年~穴吹ホークス

前年度(1983年)の覇者・西武との開幕シリーズを両山内の好投で連勝し、2勝1敗で勝ち越したホークスは、通算3試合ながら、首位(.667)で、大阪球場の開幕試合を迎えます。対戦相手は、猛牛打線の近鉄バッファローズです。

大阪球場での開幕第1戦である4/3の先発を任されたのは、前年に5勝を挙げている飛躍が期待される井上(右)でした。

井上は、いきなり、初回に3点を失い、ホークスは、0-3の劣勢に立たされますが、ホークスは、その裏、期待の新外国人・ドイルのタイムリーで1点を返すと、2人目の新外国人の大砲・ナイマンの2ランで同点に追いつきました。
1回裏の攻撃で、同点に追いついたホークスでしたが、井上は3~5回まで、失点し続け、結局8回を、ホームラン2本を含む8失点で降板し、ホークスは、敗れました。

若いチームだし、期待の新鋭ではあるが、こんな日もあるさ、井上は次の試合に期待しましょう。

そして、次の日(4/4)は、どうやら、雨で中止のようでした。本来なら、パ・リーグの各球団は、開幕日から、9連戦(3カード)が予定されていたのですが、関西(大阪球場と西宮球場)は、雨で中止になったようで、結果として、南海、近鉄、阪急、日ハムの4球団は、4連戦が2回、西武、ロッテのみが、9連戦になったようです。

これは、投手陣が(前より良くなったとはいえ)苦しいホークスにとっては、恵みの雨と
なりました。
ホークスは、開幕当初、以下の先発ローテーションを組んでいました。

山内和宏
山内孝徳
藤田学
井上

上記のような4人による先発ローテーションだと、中4日(※)でローテーションを回すと、5連戦目には、先発ピッチャーがいなくなります。このため、ホークスは、本来開幕9連戦の5戦目には、谷間の先発を用意する必要があったのですが、4/4は雨で流れたため、結果として、開幕9連戦を先発ローテだけで回すことができたのでした。

※中4日:
  登板したその日から次登板日まで4日間空けて登板する仕組みのことです。
 例えば、ある先発投手が4/1(火)に登板した場合、次の登板日が、4/6(日)
 となります。登板した日と次の登板の間がまるまる4日間空くので、中4日と
 呼んでいます。
  1984年当時は、各球団とも中4日の先発ローテーションが主流でした。
 1週間で6連戦の場合は、先発が5人は必要となります。しかし、雨や移動日などが
 より、6連戦とならない週も少なくなかったため、先発ローテを原則4人としている
 球団も少なくなかったように思います。先発ローテを少なくすると、エースが優先的
 に登板する機会が増えるため、球団としては、勝つ確率が上がります。
 ただ、先発ローテを4人にすると、6連戦があった場合に、5戦目に先発が足りなく
 なり、先発ローテ以外の投手を登板させる必要があります。
 これがいわゆる”先発ローテの谷間”と言われるものです。ここで、先発のチャンスを
 貰った投手が頑張ると、好投を買われて、先発ローテ入りすることもあります。




は、どうやら、雨で中止のようでした。本来なら、パ・リーグの各球団は、開幕日から、9連戦(3カード)が予定されていたのですが、関西(大阪球場と西宮球場)は、雨で中止になったようで、結果として、南海、近鉄、阪急、日ハムの4球団は、4連戦が2回、西武、ロッテのみが、9連戦になったようです。

これは、投手陣が(前より良くなったとはいえ)苦しいホークスにとっては、恵みの雨と
なったようです。いくら今(2019年)より、投手の酷使が激しい時代とは言え、中4日(※)

中4日:
登板したその日から次登板日まで4日間空けて登板する仕組みのことです。
例えば、ある先発投手が4/1(火)に登板した場合、次の登板日が、4/6(日)となります。登板した日と次の登板の間がまるまる4日間空くので、中4日と呼んでいます。



by 永遠のホークスボーイ



穴吹ホークス2年目始動

穴吹ホークスの1年目が終わり、2年目(1984年)が始まりました。

新戦力としては、ライトル、高、李に代わる外国人選手として、クリス・ナイマン、ジェフ・ドイル(ともに内野手)が加入しました。
しかし、トレードとしては、相も変わらず、うまみがないトレードが敢行されていたようです。前年2勝にとどまった山内新一ですが、無償トレードで阪神タイガースへ移籍し、このシーズン(1984年)7勝(9敗)を挙げました。なんで、こんなにトレード下手なんだ!(結果論かもしれないが、愚痴りたくなる。)

さて、気を取り直して、山内新一を無償で放出してしまったホークスではありましたが、このシーズンにおいては、「野村克也」がホークスを去って以来、最高の滑り出しを見せてくれました。

1984年3月31日、西武ライオンズ球場で開幕を迎えたホークスでしたが、まずは、前年の最多勝投手である山内和宏が、失点1(自責点0)で完投し、打っては、新戦力であるドイルが3安打3打点、ナイマンが2安打1打点の活躍でした。その次の4月1日は、山内孝徳が3安打完封をやってのけ、2年目の穴吹丸は、連勝という最高の形で、シーズンのスタートを切りました。

しかし、ここからが、本番というか、簡単には、勝たせてくれません。西武ライオンズは、何といっても、前年の覇者。3戦目において、ホークスは、3回までに小刻みに1点ずつ、加点し、一時は、3-2と1点をリードしますが、4回にエラー絡みで2点を失い、逆転されます。その後、6回に同点に追いつくも、8回に2点を奪われ、逆転負けを喫します。打線は、13安打3四球を浴びせながら、4点どまり。やはりこれが、強いチームと弱いチームの差なのでしょうか。

とりあえず、開幕シリーズを2勝1敗で乗り切り、2年目の穴吹丸は、船出しました。


by 永遠のホークスボーイ



穴吹ホークス1年目(1983年)のポストシーズン

就任1年目(1983年)を5位で終えた穴吹ホークスでしたが、個人タイトルでは、門田が、40本塁打で、自身2度目のホームラン王に、山内和宏が、初の最多勝(18)に輝きました。
また、ベストナインでは、香川が捕手部門で、門田が指名打者部門で、選出されました。
このあたりが、このシーズンでの明るいニュースでしょうか。

シーズン終了後に行われたその年のドラフトも実りあるものとなっていたようです。というか、運も相当良かったようです。

ドラフト指名結果は、以下の通り

 1位 加藤伸一 投手 倉吉北高 入団
 2位 山口裕二 外野手 龍谷高 入団
 3位 岸川勝也 内野手 佐賀北高 入団
 4位 山中律俊 内野手 印旛高 入団
 5位 西浦敏弘 内野手 近畿大学 入団
 6位 佐々木誠 外野手 水島工業高 入団

1位は、将来のエース候補 加藤伸一
2位は、盗塁のスペシャリスト 山口裕二
3位は、将来の大砲 岸川勝也
6位は、将来の中心選手 佐々木誠

こんなに、素晴らしい結果を残したドラフトも、この1983年時点では、南海ホークス史上初ではないでしょうか。いや~、この時のホークスのドラフトの成果は素晴らしかったですね。(穴吹さんが決めたのか、その時のスカウトさんが良かったのかは、わかりませんが)

すぐにこのドラフトの成果が次のシーズンである1984年の結果に結びつくとは限らないのですが、1シーズン目が終わった時点で、将来の戦力補強にも余念がない(意欲的である)ことが、見て取れます。

とは言っても、このドラフトで指名された選手の数年後の活躍ぶりを知っているから、このドラフトの成果は素晴らしいと言っているだけなのですが…(結果論ですね。)

ただ、この時のドラフトで素晴らしいと評価できることは、指名した6人中4人がプロで実績を残す選手となっていることだと思います。(結果的にですが)
加えて、入団拒否をされない選手をしているという点も素晴らしいと思います。「南海ホークス」は、ドラフト時に毎回のように入団を拒否される選手が1~2名いるイメージがあるので、入団拒否者が出ない年があったことにびっくりです。
何しろ、ドラフトは入団してもらって、ナンボやからなぁ…




by 永遠のホークスボーイ